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クリエイターインタビュー

『デビルメイクライ4』プロデューサー 小林裕幸氏

『デビルメイクライ4』は右肩下がりを打開するため、新しい主人公と新しいアクションを採用して成功した。

小林裕幸氏
HIROYUKI KOBAYASHI

大学卒業後、1995年にカプコン入社。『バイオハザード』シリーズや『ディノクライシス』の開発にプログラマーやプランナーとして参加。『ディノクライシス2』がプロデューサーとしてのデビュー作。『デビルメイクライ』、『戦国BASARA』シリーズなどのプロデューサーとして活躍。最新作は、『デビルメイクライ4』、『戦国BASARA X』など。株式会社カプコン編成室プロデューサー。

――『デビル メイ クライ4(以下:DMC4)』は、PS3版が国内だけで約30万本のヒットになり、ワールドワイドでPS3とXbox 360を合わせて200万本というダブルミリオンを記録しました。

小林裕幸氏(以下:小林氏):何とかノルマだと思っていたワールドワイド200万本が達成できてよかったと思います。『DMC』は、シリーズ化されていますが、僕自身は『DMC2』と『DMC3』ではチームを離れていたので久々の参加でした。

――では久々にシリーズに参加した『DMC4』は、プロデューサーとしてどんな考えを持って臨んだのですか?

小林氏:チームの外から見ていて、データとしても出ていますが、新しいファン層を獲得しながらも売り上げ本数は落ちていました。この右肩下がりをどう立て直すかを考えました。PS3とXbox 360という新しいプラットフォームで作る時に、『DMC』シリーズのファンだけを狙っても右肩下がりになっていくだろうと予測できたので、ディレクターとも意見交換をして、次世代ゲーム機のユーザーを取りに行くという考えで企画をスタートさせました。

――具体的には、どんな風に考えていたのでしょうか?

小林氏:すでに次世代ゲーム機を買っていて、ハイビジョンテレビも買っているような積極的なゲームユーザーを狙いました。でも、そこを狙った時に、主人公がダンテで2丁拳銃と長剣だけの『DMC』だと買ってもらえないと思いました。一方で、まだ『DMC』をプレイしていない方に向けては、タイトルに“4”を付けて4作目が出せるブランド力を提示しました。

――これまでのファンと新規ユーザーの両方を狙うというのは難しい選択ですよね。それが新主人公と新アクションにつながった。

小林氏:シリーズの新しいスタートという位置づけなので、ダンテを記憶喪失にするとか能力を下げるというアイデアもあったんですけど、それだと従来のファンが怒るでしょう(笑)。だから新しい主人公と新しいアクションを提供して、次世代ゲーム機で新しいアクションゲームが出るというコンセプトになり、ネロという新しい主人公を創造しました。それが全てじゃないとは思いますが、成功した要素のひとつだったと思います。

――――『DMC4』について、特に気をつけたところは?

小林氏:初めて『DMC』シリーズを遊ぶ人にもできるアクションゲームを目指しました。そして離れたファンに、もう一度『DMC』の世界に戻ってきてほしいということ。最初に発売された『DMC』は、ハリウッドのアクション映画みたいなゲームで新しいタイプのアクションゲームだったと思うんですよ。『DMC4』でも、そういう新しさをやろうと思って考えたのが、ディレクターが提案してきた「デビルブリンガー」というアクションでした。右腕で引き寄せて敵を叩くというアクションは、『DMC』に入れると新しいアクションが作れそうだというのはありました。

――『DMC4』といえば、かなり早いタイミングから発表されていましたね。

小林氏:長くプロモーションできたのは、結果的によかったと思います。でも、決して早くから発表したかった訳じゃなく、会社の判断として次世代機で『DMC』の新作を出すというのを早く打ち出す必要があったからなんです。いわば会社からのリクエストです(笑)。2005年のE3で発表したんですが、そのタイミングだと新主人公にするかどうかも決まってない状態でした。一応、ダンテを動かす実験はしていましたが、背景の担当者と「今まで見たこともないステージを出そう」ということで、アイデアのひとつだった雪山などの映像を作って出展しました。

――その時は『DMC』の新作を出すことしか決まってなかったんですか?

小林氏:ゲームの中身は、ほとんど決まってなかった。ただ、ダンテを出すのは決めていたので、ダンテの立ち位置をどうするか考えていたところですね。それで2005年の東京ゲームショウでダンテの新しいアクションを見せる60秒ぐらいの映像を出展しました。その頃からネロのデザイン出しをして背景などを固めていった。本格的な開発と展開は2006年からですね。2006年の東京ゲームショウではネロをデビューさせましたし。この時は体験版も出展しましたが、発売がかなり先なのに完成度が高かったので評判もよかったです。

――あの体験版をプレイした印象だと、発売はかなり近そうでした。実際に序盤のステージには、体験版の港町も登場します。

小林氏:そうなんです。「すぐ出せるんじゃない?」とよく言われました(笑)。でも、本当のことを言うと、あの時は体験版の部分しかできてなくて、他はそれほど仕上がっていない状態だったんですよ。

――小林さんご自身は、『DMC』の時にPS2の立ち上げを体験されてらっしゃいますよね。

小林氏:たしかに『DMC』の立ち上げ時も、今回の状況に近いです。カプコンは『鬼武者』がPS2が発売されて1年後ぐらいにリリースされて、1年半ぐらいで『DMC』が発売されています。ハードの研究をしながら独自のエンジンを作ったりしてたんですけど、それに『DMC4』の状況は近いですね。その時も3回ぐらい体験版を作りましたけど、効果はあったと思います。

――新しいゲーム機でソフトを開発する大変さは、どういうところにあるのでしょうか?

小林氏:マシンのスペックについてですね。例えば出したいビジュアルがあっても、それをどうやって出せるかみたいなところです。ゲーム作りは、試行錯誤しながら最終的な形になっていく部分があるんですが、そことゲーム機自身の実現可能な処理を見極めないといけない。そのせめぎ合いですね。安定しているプラットフォームは、だいたいスペックがわかっているので、スタート地点を認識した上でそれまでよりもグラフィックをキレイにしたり、処理スピードを早くしたりと技術面が向上します。それが次世代ゲーム機は、まずスタート地点を探して、そこを決めていく作業があるんです。今回は、新主人公の新アクションをどこまで作っていくかもあったので、そのせめぎ合いは大変でした。

――次世代ゲーム機になって、グラフィック面でも大変だったと思います。

小林氏:『DMC4』の背景は、屋外を見渡せるようなビジュアルが多いのですが、初期の段階では処理落ちもすごくて、そこをどう改善していくかというのをずっとやってました。グラフィックの担当者が、絵を作る作業ではなく、いかに見た目を壊さずデータ量の軽いCGにするか、という作業をやってましたね。

――『DMC4』は、大きい造型の敵キャラクターも多いですよね。

小林氏:そうです(笑)。次世代ゲーム機では、とにかく大きい悪魔と戦わせたかった。プレイヤーが「どうやって倒せばいいんだろう」と思う大きさを出したかった。しかもデビルブリンガーで大きい敵を叩きつけるのは、気持ちいいアクションになっていると思います。

――大きい敵キャラを出した理由は?

小林氏:次世代ゲーム機とハイビジョンテレビをせっかく買った人が、今までと同じビジュアルのゲームだったら、やる意味はないはずです。次世代ゲーム機だからこそできるすごさを表現しようと思いました。例えば『バイオハザード4』みたいにゲームシステムをガラッと変えて新しさを出すこともできたと思うんですが、『DMC4』に関しては定番の部分は代えずに大きい敵を出したり、新しいアクションを入れることで次世代ゲーム機らしさを打ち出せたと思います。

――マルチプラットフォームでの発売ですが、その辺りの苦労は?

小林氏:カプコンは、次世代ゲーム機のソフト開発をPCベースでやっていて、プログラムエンジンも独自のものを使っています。そのおかげで、『DMC4』は比較的スムーズに両方を作れました。性能や設計などハードの違いはありますが、『DMC4』はPS3もXbox 360も同じクオリティで出したかった。確かに作り始めの頃は違いはありましたけど、製品では遜色ないところまで行けたと思います。

――PS3とXbox 360は、実際に開発してみてどうでしたか?

小林氏:Xbox 360はPCに近い設計なので移行しやすかったです。PS3はCPUも設計も独特ですね。自分でいうのも変ですが、うちのプログラマーは優秀なので、かなり使いこなせるようになりました。SCE様ともミーティングを繰り返して、PS3の能力を引き出すことができたと思います。

――次世代ゲーム機で開発するにあたって、どこが変わりましたか?

小林氏:『DMC4』を作るにあたって、港町が中心になるということで、イタリアとチェコに背景のスタッフがロケハンに行きました。僕は行ってませんが(笑)。次世代ゲーム機は、解像度が圧倒的に違うので、PS2やゲームキューブで使っていたデータは粗くて使えないんです。だからグラフィックの素材は一新しました。そういうところは、もう完全に仕切り直しみたいな感じがしましたね。衣装の洋服も、ボタンは塗りつぶしてしまえばよかったのが、PS3やXbox 360だとボタンの中までデザインしなくちゃいけない。そういう細かいデザインの量は増えています。次世代ゲーム機で圧倒的に仕事量が増えたのはやはりグラフィックですね。

――やはりゲーム機の進化に合わせてスタッフも作業量も増えていくんですね。

小林氏:音も5.1chサラウンドになったので、作業量が増えています。チームとしては、意外とプログラマーとプランナーのスタッフはそれほど増えていない。カプコンではエンジンの開発プログラマーは別にいるので、ゲーム作りに集中しているプログラマーは、そんなに増えてないと思います。

――カプコンは、開発スタッフも多いと思いますが、どんな雰囲気なんでしょうか。

小林氏:カプコンの中でも、開発チームごとにやり方が全然違うので一概には言えませんが、みんなこだわりはすごいです。『DMC4』では、7、8割のスタッフが私と初めて組んだスタッフだったんですが、みんな根性ありましたね。次世代ゲーム機での開発は、壁にぶち当たることが多いのですが、そこで諦めずにアイデアで乗り切ろうとする。そこがユーザーに喜ばれるゲームを作れている理由じゃないかな。クオリティには貪欲ですね。

――スタッフは、どのぐらいの年齢が多いんですか?

小林氏:『DMC4』は30代が多いですね。ゲーム業界に10年以上いるメンバーが多かった。私がプロデューサーをやっている『戦国BASARA』は20代が多いんですけど。今は会社の平均年齢も30代に上がってますし、意外と若くないですね(笑)。でも、いろいろなハードを乗り越えてきたキャリアのある人間じゃないと、次世代ゲーム機の見えないところからのチャレンジと新しいゲームを作るチャレンジの両面をクリアできなかったかもしれません。そういう意味では頼もしかったです。

3Dグラフィックをやりたくて、ゲーム業界を目指した

――話はガラッと変わりますが、小林さんのゲーム体験も教えてください。まず、子供の頃はどんなゲームを遊んでましたか?

小林氏:最近、そういう取材が多いなあ(笑)。小学生の頃はファミコンが欲しかったけど、最初は親に勉強の意味でMSXを買ってもらいました。でもゲームばっかり遊んでて……当時は『ディグダグ』とか『パックマン』とかアーケードの移植を遊んでましたね。ファミコンは欲しかったけど買ってもらえなかったので、自分で貯金して買うまでは友達の家で遊んでました。自分でファミコンを買った後は『スーパーマリオブラザーズ』や『ドルアーガの塔』にハマってました。当時はゲームを作る側になるとは考えもしませんでした。

――カプコンには大学卒業後に新卒で入社ですね。

小林氏:好きでゲームはやっていましたが、ゲーム会社に入社しようと考えたのは、大学4年生の時です。大学の頃に『ストリートファイターII』が大流行していて、ゲームセンターに行って遊んでいましたからカプコンという会社は知っていましたけど。

――『ストリートファイターIV』も、今年発売されます。

小林氏:『ストリートファイター』シリーズって、本当に偉大なタイトルですよね。『ストIV』発表の後の反応もすごい。アーケードの『戦国BASARA X』を発表する前に、「2Dの対戦格闘を作っている」という情報を出したら、海外サイトなどで「『ストIV』が作られている!」という憶測が広まってしまったんです。社内で『ストIV』を作っていることは知っていたんですが、まだ発表前だったので「『戦国BASARA』のつもりだったのにヤバ!」と思いました(笑)。たしかに2Dの対戦格闘ゲームをカプコンが作るといえば『ストIV』だと思うよなと。ウチが『ストリートファイター』の会社ということを再認識しました。

――話がそれてしまいましたが(笑)、カプコンに入社した動機は?

小林氏:大学時代、3DCGを研究するゼミに所属していました。僕は1995年入社なんですが、1994年にプレイステーションとセガサターンが発売されて、ゲーム業界も3Dの時代になろうとしていた時期。CG関連の会社に就職したかったので、メーカー系ソフト会社とゲームメーカーを中心に就職活動をしました。当時、3DCGをやる部署を持った会社は少なかったですね。確かカプコンも、まだ3Dのゲームを発表してなかったです。

――そして3Dのゲームを作り始めていたカプコンに入社しました。最初のお仕事は?

小林氏:入社してから「3Dをやらしてください」と言っていたら、まだ『ホラーゲーム』というコードネームで呼ばれていた『バイオハザード』のチームに入れてもらえました。大学は理系でプログラムを勉強していたのでプログラマーとして入ったのですが、プログラムの専門学校に行ってた人には歯が立たなかったです。よく入れたと思うぐらい大変でした(笑)。

――ゲームを作るために実践的にプログラムを学んだ人と学問としてプログラムを学んできた人の差なんでしょうね。その後は『バイオハザード』シリーズやプランナーとして『ディノクライシス』に参加されました。プロデューサーとしては『ディノクライシス2』が1作目になりますね。

小林氏:当時のカプコンは、プロデューサーを増やそうとしていて、プランナーからプロデューサーになりました。今でこそプログラマー出身のプロデューサーも増えましたが、デザイナーやディレクターからプロデューサーになる人が当時は多かったですね。今は営業職からなる人もいるし、バラバラです。僕のキャリアもプロデューサーが一番長くなりましたよ

ゲームクリエイターなら“売れる”ことを意識しなくてはいけない。

――プロデューサーをやってきて実感していることはありますか?

小林氏:いろんなプロジェクトをやってきて、スタッフ構成は大切だと思います。ゲームは、多くのスタッフが集まって作っているので、どういうスタッフの組み合わせにしてチームを作るかは大きい。構成するメンバーによって、作品のカラーやクオリティが決まってきます。

――では、プロデューサーとして求める人材は?

小林氏:こだわりを持ってモノ作りができる人です。基本的に会社員なので、自分の思い通りのゲームを常に作れる訳じゃない。でも、与えられたプロジェクトの中で、その作品の方向性を元に自分の主張ができる人がいいですね。

――そういう能力というのは、どうやれば身に付くのでしょうか?

小林氏:ゲーム業界を目指している人は、ゲームは好きだと思います。でもゲームだけじゃなく、アニメ、映画、本、漫画、遊園地、なんでもいいけどエンターテイメントと呼ばれるいろんなものに触れてほしい。ゲームクリエイターは、人を楽しい気持ちにさせるものを作るのだから、自分が楽しんで「これはこういうところが楽しいんだ」ということを吸収してほしい。そうすることで、自分は「こう楽しませたい」というのが出ると思う。それがゲーム作りの現場に入った時に役に立つと思います。

――確かにゲームは人を楽しませるものです。

小林氏:いろんなエンターテイメントに触れていれば、ゲームを作る時に、共通言語として例に出しやすくて伝わりやすい。僕らは誰も見たことがないものを作ろうとしていて、でも誰もみたことのないものだから説明がしにくい。もし何か近いものを例に出せれば伝えやすいですよね。ゲーム制作は集団作業なので、人に考えていることを伝えるということも大切です。

――カプコンにも若い世代は入ってきていると思います。彼らの印象はどうですか?

小林氏:オッサンになってきたので、あまり若い人のことをいいたくないんですけど(笑)。元気がないというか大人しいイメージはあります。こっちも若い人は経験がないのはわかっているのに、妙に大人っぽいことをしようしたりして。もっと若さを利用して発言したり、発想をしたりしてほしいですね。だって、自分が新人の頃を思い返すと、たいして知らないのにいろんなこと言ってて、すごく恥かしいですよ。先輩方に、それを受け止めてもらってたんです。やはり、いろんな意見をぶつけてくれる若い人は欲しい人材ですね。

――今はネットの発達などで情報量も多いですし、頭でっかちになっている部分はあるかも知れません。

小林氏:逆に昔は情報量が少なかったので、知識に偏りがあるんですよね。好きなものははまり込んで深く調べる。そういうところが仕事につながって、あきらめずに努力していく姿勢に結びついたり。そういう濃い人が客観視できるようになれば、すごくいいものが作れるようになるはずです。逆に平均的な知識の持ち主や広く浅い人をディープな方向に持っていくのは難しいでしょうね。

――最後にゲーム業界についてのご意見をいただければ。

小林氏:ゲーム業界を目指す人も、最近は減っていると思っています。例えばパソコンのスペックが向上したことで、映像系の仕事もやりやすくなっている。他に魅力的な業界も多いので、そっちに流れてしまっている気がしますね。携帯電話や携帯ゲーム機など、ジャンルもスペックも多様化していますし、ゲームの嗜好に関しても細分化しています。この先を予測はできないけど、簡単にゲームが売れる時代ではなくなるはずです。企業に入ってゲームクリエイターになるなら、“売れる”ことを意識するバランス感覚も必要になってくるでしょうね。会社には、納期もクリアしなくちゃいけないし目標の売り上げ本数もあるので、それを達成しなくてはいけない。それを全部考えなくてもいいけど、チームの一員として意識していく必要性はあるでしょうね。

――本日は、ありがとうございました

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